筋ジストロフィーの私が考えた筋力を使わない体の動かし方

健康
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はじめに

いつもお世話になっております。株式会社ソマチッドのおなすです。今回は少し長い文章になりますが、上記の通り筋力を使わない体の動かし方についてお届けしてまいりたいと思います。

ちょっとした自己紹介

わたしは生来、体が丈夫な方ではなく、運動も苦手で小学校の体育は5段階評価の1か2をつねにさまよっていて、中学校の10段階評価でも1から2でした。そのため体力測定やスポーツというものには苦手意識しかありませんでした。

そこへきて40歳手前で筋ジストロフィーを発症し、医師には運動はしないようにと言われていました。しかし検査入院でひと月ほとんど運動せずに過ごした結果、私の運動能力は却って低下したように思えたのです。
筋ジストロフィーと言ってもいろいろな型があるので私の型の場合の話ですが、筋肉が壊れやすく壊れても再生しにくいので筋肉痛を伴うような運動は難しいですし、心臓も筋肉で出来ていますから、心機能も50歳の人並ということでした。(40歳当時の話です。)

しかし私の体調に留意して体の動かし方を工夫した結果筋ジストロフィーと診断されたときよりもはるかに体を動かすのが楽になっています。障害に配慮していただく環境が前提ではありますが、毎週日曜日はサッカーを楽しめるまでになりました。
私がそこまで回復したのは、無理がきかない体に適応していった結果であって、体を動かすのが楽になるような訓練を心がけていたわけではありません。

この記事は自分語りをするためのものではありません。虚弱な人間が生活するために覚えた体の使い方を皆さんに伝えたいという気持ちで書くものであります。私のように貧弱な身体能力でもできる体の使い方ならば万人に応用が効くのではないかと思っております。

自分の力をいっぱい使わなくても体は動かせる

人間は自分の力をそれほど使わなくても動けるものなのです、それを今回は説明していきたいと思います。

重力を利用しよう

読者の皆様にやってみていただきたいことがあります。
右手を垂直に上がる限界まで上げてみてください。そして力を抜いてみてください。
どうでしょう。
かなり強い力で右手が落ちてきたことに気付くはずです。
人間はつねに地面に引っ張られているのです。

つぎにやってみてほしいことは座った状態で力を抜いて倒れてみてください。これは倒れても大丈夫なところでやってみてください。
怖いぐらいの衝撃で倒れるはずです。喧嘩などで頭を打って死亡するということがありますが、これは暴力そのものではなく、暴力によって転倒して後頭部を打つことで死ぬほどの打撃が加わるということなのです。

その次は危険なので想像するだけでいいのですが直立した状態で倒れるとどうなるでしょう。先ほども申し上げましたが、死んだり大けがをしそうなぐらいの勢いで体は倒れます。

重力がいかに強いものなのかというのは理解していただけたと思いますが、その力を利用してやればいろいろな動作が楽になります。
たとえば坂道を登るときに正面に向けて倒れるような意識で歩くと思いのほか楽です。また、階段でも同様の歩き方は可能であると思われます。鉈で薪を割る時に下から上に振るう人はいません。鍬も上から下へ振りおろして使うようにできています。先ほど手を落としたときと同じスピードで手を持ち上げてみてください、かなり大変な動きになると思います。

利用できる力は重力だけじゃない

風の力を利用した帆船はみなさまご存じですし、風力発電というのも存在します。追い風で歩くのはかなり楽です。みなさまご存じのこととは思いますが帆船が風上に向けて航行することも可能です。直線ではなくジグザグで航行するわけですが、風上に向けて歩くときも応用が効くのです。
水の中で動くことというのはそうはありませんが、水流に逆らうのではなくて水流を利用するように動けばより少ない力で動くことが可能になるのです。

デパートなどの両開きのガラスのドアを思い浮かべてください。開いたドアが閉じるときにも力が働いています。閉まりかけであればそのまま手を添えてその力の方向に合わせるだけで軽くドアが開きます。ドアの動く方向の逆にドアを動かしたい場合も一度ドアを引いてから押すと、軽い力でドアを開けることができます。
もちろんドアが自分から離れていく場合は押してから引くということになるのですが、このときの手の動きは蒸気機関車のピストンと車輪の動きを思い浮かべてみてください。ピストンであるドアの前後運動を車輪である手で回転運動に変えるのです。

世の中にはさまざまな力であふれています。その力に逆らわずに同じ方向に力を添えるだけでたやすく目的を達成することができるのです。

靭帯や骨は疲れない

無理な強い力がかかると靭帯や骨は損傷します。ここではそのような無理な力ではない状況での話をいたします。

手提げ袋をもつときに、重力に逆らわずにだらんと手を下に伸ばして持ちます。手のひらの形は力を抜いた状態からあまり変えずに(変えないために)中指と薬指でひっかけるようにして持ちます。下げるものがファイルとかスマートフォンであれば指で挟んでぶらさげるときちんと保持できます。挟んで持てる原理は緩く開いた指を下方向に向けるとそれらが「落ちよう」とする力と摩擦の力を利用しているのです。

しかしながら、この手提げ袋の持ち方は腕が疲れないだけで、肩への負担がかかるようになりますから初めてこの動きをするときはむしろ疲れるのではないかと思います。腕の力を抜くことに慣れてくれば肩の力を抜くこともできるようになってきます。背骨から指の先までが一つの紐のような意識で手提げ袋を持つとより楽に鞄が持てるのではないでしょうか。

わたしは武術の専門家ではありませんので詳しい話はできませんがさまざまな武術でこういう楽な体の動かし方が使われています。たとえば日本刀を手に持って鞘に入れて歩く場合の日本刀の持ち方は今お話しした手提げの形によく似ています。
ハンマー投げのように腕を伸ばして回転させる動きは私たちにはなじみのあるものです。野球のボールをうまく投げようとすると手を伸ばして鞭のようにしならせて肩を軸に回転させるはずです。

少々難しい話になってしまいましたが、私はこのような考え方は試行錯誤の結果たどりついたわけで、決して理論だてて考えていたわけではないのです。筋力を使わなくてもいいところは極力使わないという工夫をした結果なのです。

まとめ「直線的な力を円運動の力に変える」

自転車に重い荷物を載せて走ると左右に車体が揺れますが、右側に倒れようとする力の方向を制御して円運動にしてやればピストンと車輪の関係で右回転の力を発生させることができます。当然左方向に倒れたときも逆の動きをしてやれば円運動を継続することができます。概念的には右回転しながら進行方向に向けて進んでいくことになります。回転することにより遠心力という力も使っているのではと私は思っています。

私はサッカーを楽しんでいますが、障害の特性上よく転びます。草の生えているところでプレーしていますので怪我をすることはありませんが、安全に転ぶためには直線的な倒れようとする動きを円運動に変えることが必要になってきます。これはできる人は無意識にでもやっていることなのですが、柔道の前回り受け身などは直線的な動きを回転運動に変えている点でわかりやすいかと思われます。

おわりに

いろいろと申し上げてきましたが、基本はひとつです。「流れに逆らわない」ことだけです。
少し掘り下げて言うならば流れに乗ってその流れの方向を制御してやるということです。
太極拳などでは水の動きをよく例えにつかいますが、水の流れは地面を削りますが水自体が力をもって流れようとしているのではないのです。高いほうから低いほうへ流れているだけであり、温まって蒸発した水が上空で冷えて地面にまた戻ってくるのです。水は状態が変わっているだけで水自体が力をふるっているのではないのです。

しかし人間は完全に水のようにはふるまえません。行きたい場所があったり、やりたい目的があるのです。人間は水を器に入れることもできますし、放水路を造ることで水の流れを制御することも可能です。世の中の力の流れにできるだけ逆らわず自分の力をちょっと加えていくことで望む方向への力を引き出すのです。

これは実は体の使い方だけではなく、心の使い方にも影響してくるのです。流れに逆らわないように心がけているから流れに逆らわなくなるのか、流れに逆らわない動きをしているから流れに逆らわないように心がけているのか私自身もよくわかりません。

そしてこのことはいろいろな気付きを内包しています。直線的に目的に向かってまい進することだけが美徳ではないことが理解できてくるのです。身近にあふれている力を借用することが習慣になってしまうと、「自分が特になにもしなくても借用した力だけで生きていけるのではないか」と気付けるのです。このことはあくまで概念論であって読者の皆様にこのような生き方をせよと申し上げているのではないのです。同時に借用した力に対し感謝の念がだんだん湧いてきます。わたしという人間はわたしだけの力で動いているのではないのです。

さらにこの知見は人間関係にも応用ができるのです。相手の話していることに対して反論から始めてしまうと、反論されたほうはいい気はしません。話している流れに逆らってしまっているのです。相手の話を遮って話すということは相手の話の力を利用できる機会を自らつぶしてしまっているのです。

私はまだまだ会話の訓練をしている途上ではありますが、「体の動かし方」から端を発したものが実は人間関係にたいしても非常に重要な意味を持っていることを気付けたことで、世界が大きく開けたように思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回はいつもと趣が違う文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです。それではまた。

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