強迫性障害と私 その3.矛盾する心

強迫性障害
この記事は約4分で読めます。

こんにちは、みけ猫です。

私の病気に関しての記事3作目になります。

初回と2回目の記事はこちらです↓

その1

強迫性障害と私 その1.強迫性障害とは?
こんにちは、みけ猫です。改めて申し上げますが、私はA型作業所のソマチッドで働かせてもらっています。A型作業所は障害を持つ人が自立して社会へ出るための訓練所のようなもので、ソマチッドに通っている私も障害を持っています。...

その2

強迫性障害と私 その2.強迫症状と対処法
こんにちは、みけ猫です。私の病気についての記事パート2になります。前回の記事はこちらです!2回目の今回は、強迫性障害によって起こる強迫症状についてお話させていただきます。前回の記事でも書かせていただ...

今回は強迫性障害で私が抱えている気持ちを少し書かせていただきます。

強迫性障害は矛盾との闘い

強迫性障害の一番の特徴は、必要ない行動だとわかっていてもその行為を抑えられないことです。

手洗いで言うならば、一度石鹸を使って洗えば十分でしょう。

ですが私の場合は「一回では落とせていないかも」という気持ちから石鹸を何度も使います。

さらに「石鹸はちゃんと綺麗に落とせたの?」と見えないところまで考えてしまい、手洗いの時間が長くなります。

結果的に、私の手洗いは5分以上の時間がかかることがほとんどです。

また手洗いの場合は、水を使う石鹸を使ううがいをする、などの順番が決まっています

面倒なことに、手洗い中に少しでも目を逸らしたりしてしまったり、他のことを考えてしまうと、最初からやり直しになったりします。

これは「不完全恐怖」という症状で、決まった通り完璧にやらないと不安が消えなかったりするためです。

そして「面倒なことに」と書いたように、本人も好きでやっているわけではないですし、必要ない行為だと理解しています。

それなのに止められないから「障害」なのです。

強迫性障害の人は、必要ないならやらなければいいのに、という矛盾と常に戦っているのです。

たとえ好きなものでも

2回目の記事で、私は動物や植物に対して強迫症状が出てしまう、というようなことを書きました。

ですが、この症状は私の場合、本人の好き嫌いに関係なく出てきます。

動物の場合

実を言うと、私は動物が大好きです

子供の頃から大好きで、小学生の頃の夢は動物園で働くことでした。

中学2年で強迫性障害を発症してその夢は絶えましたが、大人になった今でも動物が好きなことは変わりません。

数年前までは、触りさえしなければ動物を見ていても大丈夫で、ペットショップなどで小動物を見るのは私なりの癒しでした。

ですが、今は動物を見ると「可愛い」という思いと同時に「汚れてしまいそう」という気持ちが同時に出てきます。

そして今は「可愛い」が「汚れてしまいそう」に負けてしまい、強迫症状につながります。

大好きなものを見ることすらできないのは、正直すごく辛いです。

出来るなら、撫でてあげたい。抱きしめてあげたい。だけど、今の私には出来ない。

大好きなのに嫌悪感を抱いてしまう。

そんな自分が大嫌いで、罪悪感だけが募っていく毎日です。

植物の場合

植物も、動物に関する気持ちと似ています。

私は花を見るのは好きですし、育ててみたいとも思います。

ですが、植物に関する物、例えば「土」や「鉢」「水やりをするジョーロ」にも私は触れません

その結果、植物は買う度に枯らしてしまうので、今は植物を育てることは諦めています

動物と違って見ることは大丈夫なので、写真を撮ることが、今の私が植物に出来る精一杯です。

おわりに

今回は強迫症状についての私の気持ちを書かせていただきました。

この記事で私が伝えたかったことは「触れない」というだけで「嫌いではない」という矛盾を抱えていることです。

植物を見て、綺麗だね、可愛いね、と一緒に話すことはできます。

ですが「ちょっとこれを持ってて」と花を手渡されたりしたら、私はきっと受け取れないです。

花が嫌いなわけではありません。花が悪いわけでもありません。

花を触ると強迫症状が出てしまうので、それを避けたいだけなのです。

そして花に限らず、差し出されたものを私が受け取れないときは、何かしらの理由があるのかも、と思っていただけると助かります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました